自分の色
先日、祖父が亡くなった。自分の考えをはっきりと持った人だったので周りは大変なことも多かったが、最期まで祖父の希望にできるだけ沿って見送ったことで、家族には不思議な清々しさが残った。「自分が死んだらみんなで笑って宴会をして欲しい。やっと天国に行けたと思って。」と昔から言っていた通りに、葬儀の後、家族でお寿司を食べながらわいわいと祖父の思い出話をした。豪快なエピソードがたくさん出てきて、笑いながら話をした。 「頑固者、というのともちょっと違うんだな。もっこす、そう、肥後もっこすなのよ。ただ自分の意見の一点張りというのじゃなくて、芯があるというのかな。それがもっこす、のほんとうの意味。」 おじたちが祖父の遺影の笑顔を見ながら、しみじみとそう言っていたのがとても印象的だった。特に息子たちには厳しかった祖父への、それは感謝と愛情のこもった言葉だった。本当のところはちゃんと伝わっていたのだ。 私はそれからずっと考えている。自分の「芯」とは一体、なんだろう。我を押し通すこととも違うし、頑なに「こうあるべき」という考えに凝り固まっているのとも違う。私は、「こうしたい」と思うことがあっても、「それはわがままなんじゃないか」とか「まわりの人にどう思われるか」とかいうことを考えると、とても怖くなる。そのうち頭の中いっぱいに言葉が溢れてきて、それが自分の声なのか、他の誰かの声なのか、どれが本当の自分でどれがそうではないのかわからなくなってしまう。そして、いつの間にか最初に感じた衝動は小さくしぼんできゅうくつになっている。 少し前に友人と話をしたとき、彼は1つの丸を真ん中に、そのまわりに幾重かの円を描いて言った。 「この真ん中がもともとの君。まわりの円が、本で読んだり人から聞いたりして学んだこと、後からくっついてきたもの。君は、誰かから違う意見を言われたり自分の考えを否定されたりすると、それが外側の円のことでも、この中心までダメージを受けてしまっているように見える。でも、それは外側のことで、君自身がダメージを受けることではないんだよ。 不要なダメージを受けないようにするには、この中心の色を強くすること。”本村茉莉子の色”を強くすること。」 そしてこう続けた。 「それには、楽しいと思うこと、わくわくすることをする、ってことだと思う。」 音楽を作っているその友人の目はいつもとてもまっ...