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Re:小包

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仕事でどうしても納得できないことがあったとき、 以前だったらぐるぐるうじうじ考え続けた挙げ句、 なんとなく自分のなかでうやむやにしてごまかしたり、 逃げたりしていたのだけど、 一昨日上司に話してみたら、ちゃんと話を聞いて、気持ちを理解してくれた。 だれかに理解してもらえただけで、 八方ふさがりの箱みたいだった場所に、とつぜん外につながる出口ができたみたいに 風通しがよくなって、楽になる。 ありがたいことだ。 そしてその壁は、多分自分自身で知らず知らず作ってしまっているんだろうな。。 他の人にとっては何でもないことでも、自分の行動パターンを打ち破るのはなかなか難しい。 でも今回は、壁を壊そうとする意思をもてたのでよかった。 帰りに花屋でかわいいバラを見つけた。キャラメルアンティークというドイツ生まれの品種。 うれしい気分のときはまわりの景色も違って見えるし、 美しいものに反応する余裕が出てくる。 その夜は両親が旅行に出かけていたから、幾分心細い気持ちで帰宅すると、 ポストに小包が。 以前結婚祝いを贈った長野の友達からだった。 かわいいハワイのウクレレのネックレスとコナコーヒー、 そして長野のハーブティーも一緒に。 同封された絵はがきには、目の前にあるのと同じ満月が浮かんでいた。 なんという偶然。 ハーブティーもハワイのことも、ここ数日、私はほんとうに欲していた。 まるでそのことを知っていたみたいに届いたものたちと彼女の心は、 私を一瞬で明るい気持ちにさせた。 他の人の心の中はどうしたって分からないけれど、 それでもカチリ、と音がするみたいに「合った」と思える瞬間はある。 そういう瞬間をたくさん感じながら生きていきたいと思った。

9/6

今日は、世界でいちばん優しい雨のふる日。

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8/29 絵本みたいな空。 なんかいろんなメッセージが込められてるような気がして、しばらく見入ってしまった。 方角によって全然色や表情が違っていて、思わず息をのむ美しさ。 夕焼けって不思議だなあ。 自然からの、宇宙からのメッセージ。
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日曜は朝からファーマーズマーケットに行ってベーグルとミントの苗を買い、 代々木公園のブラジルフェスで大好きなお店ILHA BRANCAのフェイジョアーダを食べ、 中目黒のCAFE TORiに出店しているTSUKIMO BAZAARというパン屋さんのパンを買い、 そして池袋にお芝居を観に行った。 TSUKIMO BAZAARさんのパンは、自家培養の天然酵母を使用、材料は有機。 はじめて食べたバナナ酵母のパンは、中に挟んであるバナナとココナッツの相性がよくて とってもおいしかった。 卵やバター、添加物を一切使用していないから、アレルギー体質の人でも安心して食べられる。 「生きている酵母達と向き合いながら一つ一つ手作業にこだわり、透明感のあるパン屋を目指します。」 これがツキモバザールのパン。 ”透明感”。 実は、前に吉祥寺のキチムに出店していたTAIYODOさんのお菓子を食べたときに、 真っ先に浮かんだのが「透明感」という言葉だった。 TAIYODOのお菓子は、動物性のものと白砂糖を使用していない。 「食べるときに何より大切な事は 楽しくて やさしくて 安心な気持ちであること、だと思っています。」 この透明感というのが、どこからくるのか。 安心だから、材料が分かっているから? でも何か、それ以上に感じるものがある。 「材料はよけいな加工がされてないもの。 なるべく国産。 そして遊び心もわすれずに!」 このさじ加減がいいな、と思う。 安全なものがいいけれど、そこに固執して窮屈になってしまわないように。 なにより大事なのは、食べるときの楽しい気持ち。 お芝居は、ドリームダン「マニマニ」。 プレクトラムのタカタタイスケさんが音楽を担当し、友情出演をしているので知って 観に行った。 お芝居はいつも、生身の人間の迫力を感じる。 結構現実的なテーマなので笑いながら観ていたけれど、 最後のシーンで泣いてしまった。 「たくさんのものを持ちすぎて、どうしたらいいかわからなくなる」 という、とてもストレートなメッセージが胸に刺さった。 だけど次の瞬間、物語みたいに(物語なんだけど)すごくハッピーな終わり方で幕を閉じる。 たぶん今までの流れが現実的だったから、最後がより際立ったんだろう。 思わず自分の日常の中にも、こんな奇跡みたいなことがあるかも、と思ってしまった。 すごくいいお芝居だった。...
今日は新月。 新月は"始まり"のタイミングだから、何かを願うといいんだって。  以前、オノ・ヨーコさんが 「この世で1番美しいものはなんですか?」 と問われて  「あなたの願望です。」 と答えているのを読んで、びっくりした。 私にはこの答えの意味がわかるような、わからないような・・・ 。 でもこう答えるオノ・ヨーコさんをやっぱりすごい人だと思った。  タイの漫画家、タムくんのヒーシーイット・オレンジにも 「なってほしいことを書いて、自分の中の神様に見せて」 という言葉がある。  誰もの心の中に神様がいるのなら、 きっと願望は美しいものになる。  私はここに描かれている女の子の表情がとても好きだ。 シンプルなワンピースにまっさらな表情で、 願いを書いた紙を差し出す。  心の中の神様もきっと、こんなふうにまっさらなのに違いない。

走り書きその2

昨日、横浜でopen studioを終えたばかりのudanaoに会いに行った。  彼女はクロージングパーティの瓶ビールを片手に、とってもリラックスしたいい顔をしていた。 2ヶ月のスタジオ滞在期間を経て、何かが少し変わったみたい。 良い意味で力が抜けた、清々しい顔をしていた。 それを海からの風と夕焼けが包むなかで、しばらく立ち話をした。  「責任感ややりとげる、ということも大切だけど、 そこに逃げて自分を騙さないように。 人生はいつだって途中なんだから、ひとつずつを全部完璧にやり遂げようと 固執しなくていい。 本当に全うするべきなのは、自分の人生。」  この言葉が、彼女の後ろの空の強いオレンジ色と共に わたしの心に鮮やかに焼き付いた。  彼女がいま取り組んでいるのは、 自分の家族の歴史をたどるプロジェクト。  おじいさん、おばあさんが住んでいた家に残された さまざまな思い出の品、使っていた家具などを そのままの形で写真にのこしている。  私のおじいちゃん、おばあちゃんではないのに、 なぜだか見終わるといつも名残惜しい。  電気のスイッチや楓の形のスプーン立て、無造作にかけられた布の影に 見えないけれど確かに存在している、2人の優しい気配を感じるからだろう。 udanaoはそれをそっと切りとって、壊さないように残している。  この研究が今後どうなっていくのか、 自分の家族の歴史をたどることが彼女にどんな意味をもたらすのか、 これからがとても楽しみです。

走り書き

”本気”というのは、 するどくて、ふるえるほどつよくて ぎこちない。 心臓をつかまれるように迫ってくる。 でもすべてを包んで優しい。 齋くんのカラフルな曲たちには、 本当の思いがつまってる。

自分と向き合うマッサージ

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2週間ほど前、大学の1年下の高橋奈央子ちゃんにアロママッサージをしてもらった。 彼女は現在、セラピスト資格を得るために実践を積んでいるとのこと。 大学時代からずっと、こつこつとアロマの勉強をしてきたそうだ。 奈央子ちゃんに会うのは2回目で、最初はキチムでお姉さんとやっている Barpipal の展示会を見に行ったので、アロママッサージをする人だとは知らなかった。 今回、改めてお会いしたときの「第2印象」は、映画『ソウル・キッチン』に出てくる理学療法士の アンナ みたい、だった。 たまに通っている骨盤調整の先生と接していても感じるけれど、 人の身体に触れることのできる人には、独特の雰囲気があると思う。 自然に近いというか、やわらかい空気があって、接していて緊張しない。 そして話していると、なんだか安心してどこかに「還る」感じがしてくる。 どこにだろう?土に?羊水に?宇宙に? とにかく、そういう何か大きなもののところに。 トリートメントは新百合ケ丘にある、奈央子ちゃんのご自宅で受けた。 最初にハーブティーを飲みながら、体調についてじっくりヒアリング。 次に、たくさんあるアロマオイルの中から今回使うものを選んで行く。 自分の好きな香りが、そのとき身体が必要としているアロマだというのが、この間行ったアーユルヴェーダのクリニックで言われたことと同じで納得。 それにしても、どの香りをよいと感じるかによってそのときの体調がわかってしまうなんて、すごい。 ハーブとお花がいっぱいの足湯をして、いよいよマッサージ。 私はプロのマッサージというものを過去に1回だけ受けたことがあったけれど、 そのときとは比べものにならないくらい、奈央子ちゃんのマッサージはすごかった。 手から伝え込まれる"気"みたいなものを、ものすごく感じた。 アロマオイルの成分はもちろんあるけれど、最終的には、マッサージって"気"なんだ、と思った。 手を通して、身体の奥深く、心の中にまでタッチされるような感覚。 でもそこに奈央子ちゃんの"我"はなくて、もっと大きなものがそうさせている、みたいな感じ。 最初は慣れなくて身体が硬かったけれど、どんどんほぐれていって、なんだか瞑想しているときみたいにいろんな考えごとが浮かんでは消えていった。はっきり起きているわけではな...
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Lily of the valley bakery のベーグル。 このベーグルに出会ったのは、青山のfarmer's marketに行くようになった去年の夏のことだった。 farmer's marketのTwitterをフォローしていたら、ある日Retweetが流れてきた。 それはこのお店の出店情報で、オーナーのジーナさんの写真がとてもきれいで、リンクでとんだお店の HP もとてもいい感じだった。 たったそれだけのことで、次の週のマーケットで立ち寄ってみたのだった。 いざ買ってみたところ、市販の濃い味のパンに慣れていた私には、最初は正直なところ ちょっと物足りない感じがあった。 でも、私の体はその時、ちゃんといいものを記憶していたらしい。 あるとき会社の行きがけにどうしても体調が悪くなり、 電車の中で家に引き返すか迷っていた。 そんなとき、ふと考えが浮かんだ。 あのお店に行こう。 北海道産小麦100%、自家製天然酵母、オーガニックの野菜やナッツ、フルーツ入り。 こういうこだわりを「疲れてしまう」と感じる人もいると思う。 私も毎日完全にオーガニックな食事をしているわけではない。 でも、体は求めているものに正直だった。 気づいたら会社に午前半休の連絡を入れ、代々木上原の駅に立っていた。 キャラウェイシードとシナモンを練り込んだベーグルに、 クリームチーズ、サンドライトマト、パプリカやオリーブをふんだんに挟んだベーグルサンド。 食べたとたん、なんだか体の中からむくむくっとエネルギーが湧いてきた。 きれいな泉が、体の中に湧いてくるような感じ。 ピュアな素材で作られた、ほんとうにピュアなベーグル。 私はジーナさんがベーグルを焼いているところを見たことはないけれど、 粉をこねるときの眼差しや手の力の感じ、 そしてもっと奥深く、食べる人の魂を癒そうとする思いみたいなものを このベーグルを食べていると感じ取れるような気がする。 こんなふうに人の記憶に残る食べものが作れるって、なんてすごいことなんだろう、と思う。 どんなに人の表面意識では忘れていても、体はちゃんと覚えていて、そこに連れて行く。 私も自分の好きなことで、そんな仕事がしたいと思う。
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DADAカフェの"ミロトン"。 フランスの家庭料理で、 ピクルスが入ったハヤシライスのようなもの。 初めての味。 まみが知ってるかなぁ。 窓辺の花。 ブリキの花瓶が壁の感じによく似合う。 そして駅の反対側の出口を出て、Zher the ZOOにPLECTRUMのライブを見に行った。 これこそが、本当のことだ。 その人のむきだしの表情。 ほんとうの顔。 あ、いまだ、と思ったとき、 写真がとれたらいいのにと思う。 でもほんの一瞬だから、心のカメラに焼き付けておく。 大丈夫。
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あるライターの女性が、書くことについてこんなふうに話していた。 「書いているときの自分は、他のときとちょっと違う。 自分の中の、普段はとどくことができない水脈に 書いているときは辿り着ける。」 普段はとどくことができない、自分の中の水脈。 誰もが内側にもっている、 エネルギーの源みたいなもの。 それぞれの人にそれぞれの水脈があって、 そこにたどりつくために 人は生きているのかもしれない。 料理人には料理人の、 ミュージシャンにはミュージシャンの、 物書きには物書きの。 …わかりやすい何者かでなくても。 表に現れていることは違っても、 追いかけていることは一緒なんだ。 自分でやると決めたことを貫いている友人に、 それをすると決めた初めてのときのことを聞いた。 「自分のつくったものに、感動してしまったんだ。」 そのときの、子どもみたいにまっさらな笑顔と、 意志のこもった瞳の、強い光を忘れられない。 そこには驕りや過信はなくて、 ただただ純粋な気持ちが現れていた。 そして自分の作ったものを、まるで他の誰かのものみたいに ちょっと離れて眺めている感じがあった。 彼はきっと毎日、毎秒、その脈打つ音を感じて生きているんだろうな。 宇宙と繋がる、自分の中の水脈の音。
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LAUNCH PAD cafeの『LOVE』展へ、udanaoとうだゆいちゃんの絵を見にいった。 "for you" by udanao たくさんのお花に抱かれるようにして、自由にとんでいくヌー。 4時間かけて描かれたこの絵には、 そのときのudanaoの気持ちが、そのまま映しこまれてる。 なんだか、写真みたいだなあ。 大切な人を思って ひとつひとつ描かれた花たちに囲まれて ヌーは笑っているように見えた。 自由になった魂。 どこへいくんだろう? なんにも持っていけないけど その人が生きていた証みたいなもの、 かかわった人や、交わした会話や、交換した気持ちが こうやってさいごにその人の魂を包んでくれるんだな。 数えきれない思い出の花たちが、魂に寄り添うようにして集まって ひとつの木みたいになって空に上っていく。 そしてまた土にかえっていく。 くり返し、くり返し。

手を感じる

結婚して長野に引っ越した友だちに、小包を送った。 結婚式の写真と、お祝いのプレゼント。 そして手紙。 今朝、メールで返事が来た。 「たったいま、小包が届いたよ! 私を思って選んでくれたことが伝わってきて、号泣しました。 手紙も、言葉以上に思いが伝わってくる。」 私もメールを見て、思わず涙ぐんでしまった。 うれしいなあ。 通じるって、こんなにも感動することなのか。 そして当たり前のことに気づいた。 職人や芸術家の作ったものだけじゃなくて、 小包や手紙も、手仕事なんだな。 小包をつつむとき、その人を思って贈り物を選んだ気持ちや 喜ぶ顔を想像してるときのドキドキも いっしょに包んで送ってるんだ。 手紙を書いたのは久しぶりだった。 メールと違ってかんたんに書き直しできないから 緊張する。 言葉を選んで、漢字を間違えないようにして、 きれいな字を心掛けて。 どうすればちゃんと伝わるのかよく考えてから書き出すから、 緊張感のある文になる。 メールでは感じられないそういうことがつまってるから もらうとうれしいんだな。 手。 その手から溶かしこまれる気みたいなもの。 そういうものがとても気になっている。 友だちが遠くに引っ越してしまうのはさびしいと思っていたけれど、 こんなことを感じる機会を与えられるのだから 離れたところに好きな人がいるのはいいことだな、と思えた。 しふぉん、ありがとう。